想いは重い~ウツ病患者のできるまで~

最近、ウツ病って当たり前の様に耳にしますよね

私自身もウツ病でした

つい最近まで隠れウツでしたー

いつから?原因は何?と

聞かれるとはっきりとお答え出来ないのですが、16歳の時に起き上がれなくなり外出できず日光を浴びると高熱が出て病院では『再生不良性貧血』という立派な病名を付けてて頂いていました

その後、看病に疲れて酔った母が暴れて私の首を絞め、生きる事にも疲れたいた私は自殺未遂

入院

自律神経失調症、直射日光過敏症で半年の入院生活を送りました。

その頃の感覚を書いてみようと思います。

始めは重いコートを着せられ、いつの間にか鉛の服を着ている感じでした

脱ぎたいのに脱げずドンドン鉛を追加させられ手枷足枷まで付けられた感じです

始めは苦しいから外そうともがくのですが一瞬、光が見えたとしてもそちら側の自分にいくことができないのです

誰かに監視されて光の方に行こうとすると止められる感覚もありました

その内に目の前に鉛で固められた自分が現れます

横にも後にも‥‥

抵抗することもしなくなり鉛で固められた自分が当たり前になってしまいました目の前は常に深い霧が掛かっていて何処を歩いているか何をしているかも分からないんです

『鉛で出来た自分の登場』です

怒りとか不安とか死にたいとかネガティブな感情さえもないのです

『動けない』その鉛の正体はなんでしょう?!

『想い』です

幼小期、祖父母の家で育った私はタンスの中にあった母の結婚式の写真を見付けてしまいました!そこには母が父とは別の人と結婚式をしているではありませんか

そうです、父と思っていた人は養父で本当の父は別人だった!子供心に『これは、誰にも言ってはいけない』と心の扉に鍵をかけたんですね

茫然として身動き出来なくなっていた現場を祖父が発見して事情を説明してくれました

それからは合言葉の様に『さとみのお父さんってどんな人』って祖父に聞いていました

祖父はいつも、『背が高くて、優しくて格好いい男前だったよ』と答えてくれていました『大人になったら会えるからね』

その言葉を聞いて『会いたい』という『想い』が積もってきました

そう!ここで私は『大人になれば会える!早く大人になりたい!』

子供らしさを失い『会いたい』という『想い』の鉛を増やしていったんですね

鉛の正体はこれだけではありません

子供のそんな様子に全く気付かない大人はいません

今度は祖父の『心配』という『想い』

私は『心配かけてはいけない』という『想い』

母は事実を知られてしまったという『罪悪感』これも『想い』

そうして、本当の父の存在を知った私は『無意識』で父の『無意識』と繋がり父の心配という『想い』も感じとってしまっていたんでしょうね

そうです『想い』は『重い』んです!!

奇跡的にも病院内で父との再会を果たし再生不良性貧血、直射日光過敏症は回復

その時に『許し』のエネルギーをはっきりと受けとる事ができました。

私も父もお互いに『生きていてくれて良かった!』全く偽りのない『愛』のエネルギー

『重い』『想い』の世界から抜け出すことができましたが身体は半年間の精神安定剤と睡眠薬で動くことはできず人格もなくなっていた私は身体と心が統合するまでに沢山の時間と費用を要しました

自らが学ばなければとインドへいって瞑想やエネルギーワークを受けたり、自己啓発のセミナーを受講したり

どのワークやセミナーも、その時に私に必要だったもので無駄なものは一つもありませんでしたが

いつも、戻ってしまうんじゃないかという不安が付きまとっていました

それが

量子場調整の技術で『重い』『想い』を軽く変化させることができるんです

それも簡単に

こうして、思い出して書いている間にもまだ残っている過去の重い波動を軽く調整でき未来を設定することができます

未来を設定することで必要な引き寄せが起きてきます

過去の記憶よりも未来の青写真が明確に描けるようになると意識が自然に

『今』と『未来』に向かいます

ウツ病の症状や感じ方、経緯は人それぞれに違いがあると思いますが

『生きている』という光がある限り大丈夫なんです!

もし、家族や周りの方にウツ病と思われる方がいらしても簡単に『あいつウツ病だから』と思わないで、その方の中の光を見続けてあげてください。

 

私、自身がそうでしたから‥‥

 

量子場調整の施術は横浜のサロンで受けられます。お問い合わせフォームからご連絡をお願いします。